農業の「固定概念」を捨てる

しっかり「稼ぐ」ことを考える

農業は目的ではなく「手段」である

そして農家になった目的は、「幸せになる」こと

 

これは、私が農業で生計を立てようと決意したきっかけである西田栄喜さんの著書からの引用です。

私もそれを目指して日々営農をしています。

 

自然農をしているのも、固定概念を捨てたから

といえば、格好がいいのですが、実はそれ以外に選択肢がなかったワケです。

 

私の知っている農法は、トラクターで田んぼや畑を耕し、

収穫も大型機械であっという間に済んでしまう、というもの。

そして食べられるようにするための乾燥や脱穀、籾摺りまでも機械に任せて少人数で片付けてしまいます。

 

つまり、機会任せの農業です。

さらに、化学肥料や農薬を使って機械的に作っていく。

 

私が知っている農家は、みんなこのやり方です。

そして、高齢になったり、農業機械が壊れたりするとその時点で農業は持続できなくなります。

今多くの農家が農業をやめています。その要因としては後継者がいないこと。そして農業機械が高額なこと。農業機械はいろんな種類があります。
田んぼを耕す機械。収穫する機械。乾燥させる機械。ほかにもありますが、それぞれクルマが2~3台買える金額です。

そして一番大きな問題は、お米の販売価格は驚くほど低く、我が家の田んぼで出来るお米の販売金額は肥料代にもならないほどでした。

 

以上のようなことから、農業離れがどんどん進み、耕作放棄地も毎年かなりの勢いで増えていて、平成17年には、東京都の面積の1.8 倍に相当する38.6万haとなっています。世界的には食料危機の恐れがあるのにもかかわらず、です。

 

次に私が農業をしようと思ったときの状況をお話します。

その時、私には預貯金はありませんでした。高額な農業機械は買えません。

農協に相談したら、農業者に対しての融資があるとのことでしたので、農協へ相談に行きました。

 

そこで様々な書類をわけもわからず記入し、提出したものの、融資は見送りとなりました。

融資が受けられなかったのは、いろんな要因があったのだと思います。

そのときの私の印象として、農協は農家の味方ではない、と感じました。

 

なぜそう思ったか。

私は当初から農業機械を買いそろえる気はありませんでした。

初期投資で高額な農機を買うというのは、あまりにも現実離れしています。

そして私は、農協が唱える栽培方法に賛同する気はなかったのです。

 

農協の協力を得るためには、農協のいうことを聞かなければいけない。

農協のいうことは、たくさんの化学肥料や農薬を農協から購入して使うことです。

農家は農協の売り上げを上げる仕組みに取り込まれる形になっていました。そして農機具メーカーの売り上げにも貢献していました。私の住む田舎でも、農機具販売店はクルマを売る店と同じくらい多くあります。

 

さらにそこには無農薬という考え方はありません。

不耕起という考え方など、もってのほかです。

 

大きな機械で田んぼや畑を耕し、同じ作物を大量に生産する。

邪魔な虫は農薬で殺す。

 

大量の肥料を与え、栄養過多にする。まるでフォアグラのように。

栄養の取りすぎで弱った野菜は病気になりやすい。

その病気予防のために農薬。

病気になったからと言っては、また農薬。

 

そしてできた野菜は共同の選果場に持ち込まれ、同じ規格のもとで買い取られる。規格外のものは廃棄処分。

規格に通っても、安い価格で農協に買いたたかれます。

 

広い畑に、一面に広がる同じ野菜たち。

異様な景色です。私はこのような風景を目にすると、なぜか気分が悪くなります。自然界にはありえない光景です。

 

農協は自分たちの思い通りにならない農家は排除するようです。

そう思ったことに対して確たる証拠はありません。わたしの思い過ごしかもしれません。

しかし、短いやり取りで農協の職員、特に営農指導員といわれる野菜作りの先生は、私とみる世界が全く違っていたと感じました。

 

「農薬は嫌い、大型機械は導入しません」私がこう言った時、営農指導員の先生はあきれ顔をしました。私はそれを忘れることができません。

 

こうして農協から見放された私は、導かれるように自然農法へと進んでいきました。